第3章 聖書解釈の鉄則 (解釈学)

目次

鉄則①…字義どおり解釈する
例 1A
例 1B
鉄則②…聖書の文脈に従って解釈する
例 2A
例 2B
例 2C
鉄則③…歴史的・文化的背景に従って解釈する
例 3A
例 3B
鉄則④…通常の語法どおり解釈する
例 4A
例 4B
鉄則⑤…たとえの趣旨、たとえと寓話の違いを理解する
例 5A
例 5B

わたしたちはすでに、内容(content)、文脈(context)、引照(cross-reference)の「みっつのC」について学びました。聖書解釈学をかんたんに掘り下げながら「みっつのC」を広げてみましょう。原文の筆者の(そして著者の)意図した意味を発見することがゴールです。聖書箇所の適用は数多くあっても、解釈はただひとつです。聖書そのものが、聖書のどんな預言も勝手に解釈するものではないと述べて、そのことを言っています。新約聖書『ペテロの手紙 第二』1章20節《ただし、聖書のどんな預言も勝手に解釈するものではないことを、まず心得ておきなさい。》正しい意味を発見する助けとなる鉄則があります。ある人々はこれを無視して自分たちとその弟子に多くのトラブルをもたらしました。新約聖書『ペテロの手紙 第二』3章16節《(略)その中には理解しにくいところがあります。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の箇所と同様、それらを曲解して、自分自身に滅びを招きます。

聖書箇所の意図する意味が分かるためにはどうすればよいのでしょう。意味のよく分からない箇所が気になるとき、どうやって研究すればよいでしょう。この鉄則を心がけてください。

鉄則①…字義どおり解釈する

みことばの正確なもとの意味に忠実であるほど、わたしたちの解釈はよくなります。つぎのステップで、キーワードの正確な意味を調べてみましょう:

  1. 定義. ギリシア語やヘブル語の辞書で定義を調べましょう。動詞は、時制も重要です。

  2. 引照. 聖書と聖書を比較してください。同じギリシア語やヘブライ語(日本語ではない)の聖書的用法を調べれば、定義を明確にするか、新しい光を投げかけることになるかもしれません。同じ筆者はこの語を他の箇所にどのように用いているでしょうか。他の筆者はどうでしょうか。聖書以外の用法が参考書に載っているかもしれません。なぜ原語を調べる必要があるのでしょうか。日本語でよいのではないでしょうか。それは、異なるギリシア語が同じ日本語に訳されたり、そのギリシア語にニュアンスの違いがあったりするからです。

例 1A

新約聖書『ヨハネの福音書』20章17節《わたしにすがりついていてはいけません。 》は、文語訳では《われに觸るな》と訳されています。「触るな」とは乱暴な言い方ではないでしょうか。復活したイエスさまが神聖になりすぎたか何かで、触られたくないかのように聞こえます。しかし、そうではないようです。スピロス・ソディアティス(Spiros Zodhiates)の 新約聖書Present Imperative大全 (The Complete Word Study New Testament) (AMG Publishers, 1991)を見てみましょう。

定義: 新約聖書『ヨハネの福音書』20章17節を見てみると、Touchという語の上にpim680とあります。この文字は品詞を示すもので、番号はストロング番号です。定義を調べましょう。(879ページ)「680、ハプトマイ。語根、ハプト(681、触れる)。変化させる影響力を発しながら何かを手にする。(略)セラファオー(5584)はこれと異なり、ものの表面に触れるだけである」。pimも引いてみましょう。ソディアティスの文法コードは新約聖書『ヨハネの黙示録』の直後の849ページにあり、pimとは「現在時制(Present)命令法(Imperative)能動態(Active)」のことだと分かります。857ページには「現在時制命令法は、能動態の場合、未来に継続もしくは反復の動作を行う何らかの命令を表し、また否定文の場合、何らかの動作をしているのをやめさせる命令を表す」とあります。これは否定の命令で、すでに生じている何らかの動作をやめさせようとするものです。さて、何が分かったでしょうか。

マリアはもうイエスさまにすがりついていて、イエスさまはしがみつくのをやめるようマリアに言ったのです!

例 1B

新約聖書『ヤコブの手紙』5章14節あなたがたのうちに病気の人がいれば、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。この「オリーブ油を塗る」とは何でしょうか?

ストロング希英辞典によるストロング番号G218 aleipho の定義は "to oil" です。「油を塗る」という意味のギリシア語はもうひとつ、G5548の chrio があります。ストロング希英辞典には "to smear or rub with oil, i.e. to consecrate to an office or religious service" とあります。動詞なので時制も考慮しましょう、"apta" の不定過去分詞能動態です。《不定過去分詞は、単純な動作を表し、連続の動作とは対照をなす。(略)主動詞と時制を異にするとき、それは通常、主動詞に優先する動作を示す》 (ソディアティス  851ページ)

  • aleiphoの引照

    1. 新約聖書『マタイの福音書』6章17節《断食するときは頭に油を塗り、顔を洗いなさい。》

    2. 新約聖書『マルコの福音書』16章1節《(女たち)は、イエスに油を塗りに行こうと思い、香料を買った。》

    3. 新約聖書『マルコの福音書』6章13節《油を塗って多くの病人を癒やした。》

    4. 新約聖書『ルカの福音書』7章38節《その足に口づけして香油を塗った。》

    5. 新約聖書『ヨハネの福音書』12章3節《香油を(略)イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。》

  • chrioの引照

    1. 新約聖書『ルカの福音書』4章18節《主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、主はわたしに油を注ぎ、

    2. 新約聖書『使徒の働き』4章27節《油を注がれた、あなたの聖なるしもべイエス》

    3. 新約聖書『使徒の働き』10章38節《神はこのイエスに聖霊と力によって油を注がれました。》

    4. 新約聖書『コリント人への手紙 第二』1章21節《私たちに油を注がれた方は神です。》

では、aleipho と chrio の違いは何でしょうか? 引照と定義から振り返って、違いをまとめてみましょう: aleipho は油の実際的な用法であり、chrio は霊的な用法である。

良きサマリア人が強盗に襲われた人を手当てしたときの油の実際的な用法(その語が使われていないとしても)の実例としては、サマリア人が油とぶどう酒を傷に注いでいます。このように、イエスさまの時代、油には医療的用途がありました。

それでは、今のみことばの研究で学んだことを新約聖書『ヤコブの手紙』5章14節で実際にやってみましょう。あなたがたのうちに病気の人がいれば、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。「オリーブ油を塗る」は霊的でしょうか、実際的でしょうか。実際的です!

そして、ギリシア語の時制(不定過去分詞)は「オリーブ油を塗って」とうまく訳され、順序としてはまず油を塗って、そして祈りです(「主の御名によって」は祈りのことであり、油を塗ることではありません)。新約聖書『ヤコブの手紙』5章は、長老が病人に治療を行い、主の御名によって彼のために祈らなければならないと言っています。それはわたしたちの神さまの実際と精神の美しいバランスを表しているのではないでしょうか!