神のみことばへの取り組み

みことばを聞き、聖書を読めば、深遠な真理も望遠鏡のように視界に収めることができます。そのため聖書を研究し、記憶するならば、委細も詳細も顕微鏡のように正確に分析することができます。聖書を熟思することは、そのように聞き、読み、研究し、記憶し、みことばを肝に銘ずるということなのです。

聞く

新約聖書『ルカによる福音書』11章28節 しかし、イエスは言われた。「幸いなのは、むしろ神のことばを聞いてそれを守る人たちです。」

読む

新約聖書『ヨハネの黙示録』1章3節 この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを守る者たちは、幸いである。時が近づいているからである。

新約聖書『テモテへの手紙 第一』4章13節 私が行くまで、聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい。

研究

新約聖書『使徒の働き』17章11節 この町のユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも素直で、非常に熱心にみことばを受け入れ、はたしてそのとおりかどうか、毎日聖書を調べた。

新約聖書『テモテへの手紙 第二』2章15節 あなたは務めにふさわしいと認められる人として、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神に献げるように最善を尽くしなさい。

記憶

旧約聖書『詩篇』119篇11節 私はあなたのみことばを心に蓄えます。 あなたの前に罪ある者とならないために。

熟思

旧約聖書『詩篇』1篇2〜3節 主のおしえを喜びとし 昼も夜も そのおしえを口ずさむ人。 その人は 流れのほとりに植えられた木。 時が来ると実を結び その葉は枯れず そのなすことはすべて栄える。

『ナビゲーター』(The Navigators)の示すとおり、親指はすべての指に触れることができますが―訳註 『祈りの手(The Prayer Hand)』参照―みことばを熟思するという親指も、聞き、読み、研究し、記憶するというほかの指と同様です。熟思は黙示を神さまからいただくための鍵です。新たにクリスチャンになった人にとっては、研究や記憶よりも、聖書全体のメッセージに慣れるため、聞いたり読んだりすることが重要です。