鉄則⑤…たとえの趣旨、たとえと寓話の違いを理解する

寓話とは、話を形づくるそれぞれの要素に意味があり、それぞれが比喩的に何かを表わしている話のこと。

聖書のたとえはすべて寓話であり、話に出てくるものは常に必ず何かを比喩的に表している。○か×か?

いくつかのたとえは寓話です。たとえば、種を蒔く人のたとえは寓話です。種は神さまのみことばです。茨はこの世の思い煩いと富の誘惑などです。ほとんどのたとえは寓話ではなく単純にひとつの要点を示す話です。たとえから教義を立てるのは危険です。いろいろなことを言うために、ひとひねり加えられていることがあるからです。教義は明白に記述された聖句から立てなくてはなりません。 寓話が明白に記述しているのならよいのですが。

例 5A

新約聖書『ルカの福音書』18章1〜8節のやもめと不正な裁判官のたとえ。この話の教訓は力強く祈ることです。もし寓話にとらわれてしまったら、どうなってしまうでしょう。

暴力にはすべて理由がある。神は不承ぶしょう、やもめやら、神を「煩わせる」祈りやらの権利を守るのだ。

例 5B

新約聖書『ルカの福音書』16章1〜9節の不正な管理人のたとえ。このたとえの要点は何でしょうか? これは寓話ですか?

この管理人がほめられたのはただひとつ、管理の仕事がなくなったときに備えて発揮された彼の抜け目なさだけです。主人をだます不正な行いは、ほめられていません。